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富山大空襲の日 
8月1日は、富山大空襲の日です。

1945年8月1日の午後10時ごろ、米軍機が富山上空に現れ、
そのまま「長岡空襲」へと通り過ぎたが、2日午前零時ごろ、空襲警報が再び発令され、
その後にB29爆撃機174機が飛来した。
先頭機が照明弾を投下し、続いて富山市五福地区から桜谷地区の周辺部から焼夷弾を投下して
火の輪で市街地を囲み逃げ場をなくした後に、中心部に焼夷弾や小型爆弾を2時間にわたって投下。
市街地1377haが焼失、推定3千人が死亡、約8千人が負傷する大惨事となった。
この富山大空襲は、当時の市街地の99.5%を焼失させ、
地方都市への空襲としては、もっとも被害の大きなものでした。


午後1時半、富山市主催の「感謝と誓いの集い」に参加しました。

式典の後半で、実際に空襲に遭われた市内在住の80歳代の女性の手記が朗読されました。
その方は必死で逃げて用水に浸かって助かった、しかし、「防空壕に避難した人は全滅」…
辛い経験を聞かせてくださり、二度と戦争は起こしてはならないとの決意が語られました。

感謝と誓いのつどいDVC00760_convert_20110802002149
富山大和DVC00785_convert_20110802025032
↑空襲で焼け残った、旧富山大和の建物 上の写真では右側のほうに見えます


でも、富山市主催のこの式典全体としては、富山大空襲がどうだったのか、
主催者である市からはほとんど触れないに近い。

「先人の遺徳をしのび、敬意と感謝を表する」ことには異論はないが、
なぜ、大空襲の日におこなう式典なのに、
「富山大空襲や、太平洋戦争、世界大戦でのすべての犠牲者を悼み…」という内容がないのだろうか?


夕方6時からは、「8.1市民平和行進」に参加しました。
「核兵器も戦争もない世界を!の声をさらに大きく」がスローガンです。
この8.1市民平和行進は、1977年から毎年行われ、
4年前からは原水爆禁止富山県協議会の呼びかけで行われています。
ひづめ弘子県議と中山雅之市議も参加。
富山市役所前から、菊の花を手に手に、神通川原まで静かに行進しました。
神通川原は、空襲を受けて逃げこんだ多くの方々が、
再び直撃を受けて亡くなられたところです。

平和行進DVC00757_convert_20110802002231

川原では、富山大空襲を語る会の方のメッセージ、
僧侶の方のお話と東日本大震災へ思いを寄せた詩の朗読、
そして「夕べの歌」をみんなで歌い、黙祷を捧げ、神通川の流れに献花。

目を閉じると、静かな涼やかな川のせせらぎの音、少し遠くにときどき蜩の入る蝉時雨、
小鳥のさえずり…。
この水面に、そんな地獄があったとは、毎年こうして思いをはせなければ
だれもが忘れてしまいかねません。

献花DVC00754_convert_20110802002355

そして今夜は、毎年8月1日の夜、鎮魂の花火大会です。
うちの側の駅のホームから、遠いけど、よく見えました。
ご近所のみなさんもいらっしゃって、Wさんちの犬のシロちゃんともいっしょに
花火を見てました。
ちょうど10年前の今夜は、母のお通夜だったなあ。
お通夜に花火が揚がるとは、私の母らしい!!

その母も5歳のとき、敦賀で空襲に遭いました。
母の5人姉妹と祖父祖母たちの空襲に遭った苦労話、
父方の祖父の40歳での召集と北京での戦病死、父たち4人きょうだいと祖母たちの引き揚げの苦労話、
何度も聞いて育ちました。

なにがあっても、過去の戦争を美化する輩は許せません。

花火2DVC00753
とうもろこしDVC00748_convert_20110802002726_convert_20110802015819




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